海外勤務のイメージって?
皆さん海外勤務についてどんなイメージをお持ちでしょうか?
・英語が堪能な人が抜擢されるもの ・エリート社員の世界でしょ? ・できる人がいくやつでしょ? ・お金が大変そう ・なんか優雅な感じですよね
こんなイメージですかね?
2012年から2014年にかけて、私も上海に駐在をしていました。
そんな私が上記に該当するのかというと・・・。
・英語はできません、TOEICも受けたことありません。 ・エリートというより雑草で、地方中途採用でした。 ・できる?ある意味ね・・笑 問題も多々ありました。 ・お金は、案外会社からの手当てで問題ないです。 ・優雅と言えば、優雅でしたが・・、激務の日もあり、日本より少し緩いくらいかな。
こんな感じです。
そんな私が、まだコロナ禍も落ち着かない、今、海外勤務のススメを書くのはなぜでしょう?
実は、ここ最近、私の周りで海外駐在へ飛び立った人が複数人出て来ました。
1人は、某県からの派遣で上海へ。
もう1人は、会社の立ち上げ直しでアメリカへ。
正直、コロナ禍もあいまって、現在海外勤務を希望する人は、平時に比べ大きく減っていると考えます。
とは言え、上記統計データの通りで、かなりの海外駐在者は存在していますし、こんな時でも、どうしても行ってもらわないといけない仕事はあります。
平時なら、抜擢される可能性があまりない人でも、もしかしたらこのタイミングなら行けてしまうかもしれません。
(ワクチン接種完了済みであれば、比較的海外渡航は楽になりましたね。)
もし、そんな機会が目の前にあるのなら、ぜひ手を挙げて飛び立ってほしいと思い、この記事を書きました。
それだけ海外駐在は魅力があり、自分の人生にプラスになると私は考えています。
歴史上の海外経験者
少し、雑学までに、海外に渡って学んだ人ってどんな人がいたか、見ていきたいと思います。
古くは遣隋使の小野妹子や遣唐使で海を渡った歌人阿倍仲麻呂が有名ですが、現代を生きる私たちにはイメージしづらいと思いますので、時を進めます。
戦国時代も秀吉の朝鮮出兵や、私の地元仙台でも伊達政宗の指示で海を渡った支倉常長も有名ですね。ただ、この辺もまだまだ歴史の中の出来事過ぎますので、さらに時を幕末まで進めます。
幕末。
この時期は、新たな文化を学び、交易を結び、新時代を作るために海を渡った偉人がたくさんいます。
その中から、著名な方々を列挙していきたいと思います。
〇勝海舟
言わずと知れた、幕臣ですね。
彼は1860年にジョン万次郎、福沢諭吉とアメリカ・サンフランシスコに渡っています。
帰国後は軍艦奉行、陸軍総裁を歴任。
神戸・横浜港の整備にも尽力しました。
江戸城無血開城の功労者であり、海外の状況を知っていた人だから武力討幕をさせなかったのではないかと考えてしまいます。
〇岩倉具視
公家出身の政治家で、お札にもなりましたね。
彼は、1871年アメリカ、イギリス、フランスへ木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らと渡り、日本の立ち遅れを実感し、帰国後国内政治の強化に努めました。
その後、自由民権運動を抑え、大日本帝国憲法の設立と、天皇を中心とした立憲君主制の確立に尽力しました。
海外での経験から日本の未成熟さを感じ、新しい国の在り方を作りあげたのかもしれません。
〇福沢諭吉
お札つながりですね。
中津藩の下級武士出身ですが、勝海舟との渡米から、1867年にも渡米。
通算3度の渡航をへて近代思想の洗礼を受け、維新後の文明開化期に啓蒙思想家として慶応義塾で教育に携わりました。
「天は人の上に人をつくらず」と言った平等の思想、独立自尊の精神は人々に大きな影響をあたえました。
海外の制度や思想を学んだから生まれる先進性と、それを市井の人たちに広げたカリスマですね。
〇渋沢栄一
日本資本主義の父。
今、大河ドラマでも取り上げられていますね。
農家に生まれ、尊王攘夷運動に加わり、そこから幕臣へ転身。
徳川昭武の随員としてパリ万博へ渡仏。
スイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスなどを視察。
帰国後は株式会社形式の「商法開所」を興し、間もなく大隈重信に招かれ大蔵省に入省。
国立富岡製糸工場の設立など殖産興業と財界の整理に従事しました。
その後は民間の実業家として第一国立銀行、日本銀行を創立。
王子製紙、東京鉄道、東京瓦斯、大阪紡績、日本郵船、東京海上火災保険、東京証券取引所、キリンビール、帝国ホテルなど多業種に渡って500以上の会社を創設しました。
実業界を引退後は東京慈恵会、日本赤十字社など医療・福祉期間の創立をしています。
華々しすぎますが、元は農民。そこから幕臣として海外へ渡り、純粋に新しいものを取り入れ、それを形にする実行力があった方なのかなと感じます。
(緑文字は私の勝手なイメージですが・・。)
このほか、新渡戸稲造や夏目漱石、原敬など、多くの歴史に名を残す偉人が海外に渡り、学び、それを日本に持ち帰り、広げて大きな影響を残しています。
日本は特に島国です。
今の時代になっても、日本以外には行ったことがないという人が山ほどいますし、それでよいと言う人もたくさんいます。
ただ、日本で日本流のことをやるだけでは、新しいことは見つけづらいし、日本の常識は世界の非常識であることもあると感じています。
「今はSNSや、情報通信技術が発達しているから、行かないでもわかるよ。」
と言う人もたくさんいますが、その場所の空気、人の熱気、暮らしの流れ。
私は行かないと感じられないことがたくさんあると考えています。
ぜひ、海外を経験し、それを元とした価値観でさらなる活躍をしてもらいたいと私は思います。
歴史に名を刻む人も、もしかしたら出てくる?
そんな期待もしながら提言です。笑
私が感じる海外勤務のメリット
歴史の話しから戻り、私個人と私のまわりの人たちが感じている海外勤務のメリットをお話できればと思います。
正直、私も前述している海外勤務は必要ないよ!
というタイプの人間でした。
そんな私が、海外駐在に出たきっかけは、東日本大震災でした。
未曽有の大災害にあい、当時住んでいた仙台の家も全壊しました。
仙台の街も、海沿いは津波で流され、市の都市計画が整わないことには、インフラを復旧させていくのもままならない状況でした。
避難所暮らしをし、自分の大好きな街の変わり果てた姿と、昨日まで会話をしていた人たちが、今日はいなくなってしまっていることに大きなショックを受けました。
そして、
「人生は一度きり、いつ終わるかはわからない。だから多くを見たい、学びたい。それを持って地元に還元したい」
そう考えました。
ここから火が付いた私は、社内で初の公募となる「海外トレーニー制度」の1期生として手を挙げて上海に渡りました。
私の知っている中国は、オフショアリング(製造拠点)の国でしたが、上海はそんな感じはまったくなく、大都市で一大消費地でした。(今は中国全体が消費地となってきましたね)
同時にまだまだ物乞いや、ごみ集めで生きている人たちも多く、貧富の差が目に見えてわかる、今までに経験したことのない世界でした。
この現実を見ただけで、日本にいては知りえない世界を知れたと思いました。
そんな状況でしたが、私が本当に行ってよかったと思ったのは人のつながりです。
海外勤務では日本人と言うだけで、仲間意識ができます。
そのため、各所に日本人のコミュニティがあり、「〇〇県人会」「〇〇年生まれの会」「〇〇大学の会」「各趣味の会」「スポーツ仲間の会」などなど。
日本にいたら、絶対に話す機会のないような人たちとも知り合いになることができ、その付合いは今も続いています。
こういった人のつながりは、今の自分を形作ってくれていると感じます。
そのほかに、私の感じるメリットを羅列すると以下のようなになります。
・日本の常識と世界の常識を比較する機会ができる ・多国籍の友人ができる ・外国語を話すことに抵抗がなくなる ・海外のものの考え方、交渉のスタイルを学べる ・世界の広さを体感できる ・世界の交易に関わる展示会や、通関業務の知識がつく ・日本の良さを再認識できる
これ以外にも、私は家族帯同でしたので、こんなメリットも感じました。
・子どもが海外環境、言語に違和感を感じなくなった ・海外文化を家族が体験する機会ができた ・多国籍の学校で学び、色々な国の方がいることに家族がなじめた ・家族の海外への旅行時に、精神的ハードルが下がった ・言葉が通じないことを気にしなくなった(身振り手振りで何とかなります!)
私は、日本人街のマンションに住んでいました。
そこは、プールにジム付き。
夏はプールで泳ぎ、寒くなったらジムで太極拳を習う感じです。
マンション内ではハロウィンなどの季節イベントも盛り上がりました。
同ビル1Fに日系スーパーがあり、買い物も便利。
でも、その並びにクラブのようなものもあり、少し気まずい。
こんな環境も日本にいたら、なかなかないですよね。
それ以外に、世間的にはこんなメリットがあると言われますね。
・昇進が早くなる ・転職機会が広がる ・手当で収入が増える ・マネジメント力がつく
あなたの環境や、会社はどのような考え方はわかりませんが、上記メリットは少なからずあるのではないかと思います。
もちろん、病気や犯罪、環境問題など、色々なリスクもトレードオフとして存在します。
それでも、そんなことが気にならないほどのメリットを私は感じています。
ぜひ、みなさんの挑戦を聞かせてください。
私も、この経験を元に、来年世界一周の船旅に出て、さらにたくさんの国を知る機会を作りたいと思っています!
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