白河の関って一体なに?
第104回全国高校野球選手権大会で仙台育英が優勝し、ついに白河の関を越えました!
東北のチームが決勝に進むたびに、「白河の関を越えられるか?」こんなニュースが飛び交います。
では、そもそも白河の関ってなんのことでしょうか?
また、いつからそのような話がでるようになったのでしょうか?
歴史的なお話をすると、福島県白河市に国指定史跡「白河関跡」という場所があります。
平安時代には、すでに陸奥との関門として白河関は存在していたことが、歌人の歌からも見受けられます。
都からの犯罪者が陸奥に入り込まないための関所として存在し、現在も白河警察署が白河検問所を常設しており、歴史は引き継がれています。
高校野球に関して言えば、東北に優勝校が出たことがない。
そのため、東北と北関東の境になる「白河の関」というキーワードで語られるようになったようです。
正確にいつからかということは、残念ながら定かではありません。
ただ、103回もの長い期間において、東北の高校野球のひとつのキーワードであり、私も子どもの頃からこの言葉を聞いて生きてきました。
ある意味、東北人にとっては悲願であり、大きな壁となってプレッシャーを与えるものだったのかと思います。
東北は雪の問題で屋外スポーツが弱い?
私も東北人です。
私の子どもの頃は、東北は雪が降ることで練習時間に制限があり、西日本のチームには勝てないという話がよく聞かれました。
それこそ「白河の関を越える」のは難しいよなと思っていました。
ただ、昨今は東北の屋外スポーツが力をつけています。
地球温暖化の影響もあるのか、仙台あたりは雪の積もる日はそこまで多くはありません。
例えば、今回ベスト8に進んだチームがある都市の2021年の累積積雪量を比較してみましょう。
名古屋市6cm 仙台市54cm
高松市0cm 彦根市209cm
大東市データないため大阪市0cm 下関市0cm
伊達市データがないため福島市202cm 熊本市0cm
この対戦でベスト4に上がったのは積雪が多い都市にある学校でした。
(大阪桐蔭 対 下関国際はともに0cmなので除外します。)
実は雪のせいで勝てないということではなかったのだと思います。
この言葉によるプレッシャーに打ち勝てなかったのではないかと思っています。
東北の高校は何度決勝に臨んだのか?
白河の関を越えるために、一体何度、東北の高校は決勝を戦ったのでしょうか?
白河の関という言葉が繰り返し使われるくらいですので、かなりの回数を想定されるものと思います。
過去の決勝進出校を書き出してみます。
・1969年夏 三沢 ✕ 松山商
・1971年夏 磐城 ✕ 桐蔭学園
・1989年夏 仙台育英✕ 帝京
・2001年春 仙台育英✕ 常総学院
・2003年春 東北 ✕ 常総学院
・2009年春 花巻東 ✕ 青峰
・2011年夏 光星学院✕ 日大三
・2012年春 光星学院✕ 大阪桐蔭
・ 〃 夏 光星学院✕ 大阪桐蔭
・2015年夏 仙台育英✕ 東海大相模
・2018年夏 金足農 ✕ 大阪桐蔭
・2022年夏 仙台育英✕ 下野国際
合計13度目の悲願達成となります。
ここまでの歴史では、仙台育英が4回と最も決勝を経験していて、それに続くのが光星学院で3回となります。
プロに進んだ有名な選手も、ダルビッシュ(東北)、菊池雄星(花巻東)、吉田輝星(金足農)など、多くの名選手が挑戦し、破れてきました。
過去のチームとの違い
それでは、今回、仙台育英が優勝できたのは何故でしょうか?
今大会までの高校野球のイメージは、最近の大阪桐蔭のような強打のチームももちろんありますが、飛び抜けたエースが投げぬいて勝つという、1人のエースに左右されるイメージが強かったのではないでしょうか?
白河の関を飛び越えて、北海道に優勝旗が渡った、2004年夏の駒大苫小牧。
2006年に、この駒大苫小牧 田中将大と早稲田実業 斎藤佑樹の投げ合いのような、エースの活躍。
これが高校野球の強いチームのイメージでした。
ただ、エースの連投で、決勝までに大きな疲労を抱えるケースも多く、突然打ち込まれてしまうというのもある意味高校野球の象徴的なイメージでした。
今回の仙台育英が用いた手法では、5人のピッチャーを準備し、全員が140kmを超える投球で、疲労を蓄積させずに、常にベストピッチができる状況を作り出しました。
合わせて、継投が前提にあるため、常に全力で投げきれる勢いも感じるピッチングを披露しました。
斎藤投手 4試合 213球
高橋投手 4試合 188球
古川投手 3試合 124球
湯田投手 3試合 122球
仁田投手 2試合 81球
ある意味、過去のイメージからの脱却で、総和で勝つチームを作り上げてきたことが大きな驚きと、実績を上げたと思います。
過去からの脱却
まとめます。
何故仙台育英が白河の関を越えることができたのか?
その答えは、過去のスタイルからの脱却にあったのではないかと思います。
私たちの感覚に刷り込まれていた、エースピッチャーが投げ勝つというイメージから、継投で勝つというセオリーの変化を立て付け、疲労で本来の力を出せずに破れていった過去の東北のチームとは別の流れを持ち込んだ。
今までの問題点を克服する打ち手を準備した。
その結果が、白河の関という過去からの壁を突き抜ける力になったと考えます。
営業の世界においても、大口の固定客1社で食べていた会社は、今回のコロナ禍の中で、大口顧客が財布を引き締めた結果、衰退していく会社も見られます。
旅行業界や航空業ターゲットの企業は厳しかったと思います。
また、足で稼ぐというある意味旧来からのセオリーは、TV会議の普及もありICTを活用したプレゼンテーションスキルや、ECサイトを活用した調達スタイルへの変更も多く見られるようになりました。
コロナ禍の継続するビジネス環境において、過去からの脱却は大きな課題であり、その効果を目の当たりにする機会を仙台育英から見せつけられたという印象もあります。
セオリーを見直し、冷静に弱点を克服し、大きな結果に繋げていきたいですね。
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